大学入試制度改革はパンドラの箱だったのか

2020年1月18/19日に最後のセンター試験が行われ、2021年からは大学入試制度改革が行われ共通テストが行われることとなっていた。しかし、多くの教職員や受験生からの反対の声、改革の目玉であった記述試験の採点方法の不公平さなどさまざまな問題が露呈し延期となってしまい、改革の目玉抜きの”共通テスト”が置き去りになってしまった。これらの事件以来、大学入試制度改革、そして教育への関心が高まり、世論は現行の方法での実施を求める声も多く聞こえる。果たして大学入試制度改革は手を付けてはならない所謂パンドラの箱であったのか。

大学入試制度改革の本質は間違っていない

筆者がこの記事で強く論じたいのは一連の大学入試制度改革の理念や本質は決して間違ってはいないという点である。

この改革は「マーク試験」から「一部記述式導入」というごく一部の変更のみならず、高校教育にまで大きな良い影響を与えるものであるが、世間では「記述式」や「英語」という言葉が一人踊りしている感じがどことなく受け止められる。

(なお、「マーク試験」が受験性が主体的に考える力を育まないという考え方については別の機会で述べたいが、筆者はこれについても誤っていると考える。)

ではなぜ大学入試制度改革が必要であったのか。それは高校で生徒が「主体的で対話的な深い学び」を行うために必要であったのだ。この「主体的で対話的な深い学び」は以前は「アクティブラーニング」と呼ばれていたものだが、この「アクティブラーニング」が様々な意味をもち、広く使用されているため文部科学省が新しい学習指導要領で提示したものである。

ここで新たな疑問が浮かんでくると思う。それはなぜ高校の教育改革と大学入試制度改革が関係するのかということであると思う。この問いに対する答えは長年高等学校は大学へ生徒を送る「養成機関」として働いてきたためである。そのため多くの高校では大学入試のために勉強を行い、大学で学ぶために高校で学ぶために高等学校の教育内容が完全に大学入試制度を意識したものになってしまった。

この環境下で「アクティブラーニング」「主体的で対話的な深い学び」を取り入れたとしても、大学入試制度では必要ないと切り捨てられるであろう。

だから大学入試制度改革が必要なのだ。

頓挫した理由=改革が良くない理由ではない

大学入試制度改革について多くの人が誤解をしている点が他にもある。それは「頓挫した理由」=「改革の悪しき点」という公式立てをしていることである。

この崇高な理念をもつ大学入試制度改革はなぜ志半ばでとん挫したのか。特定の人物・業者やその行動について具体的にこの記事で言及はしないが、新テストの記述試験を採点することとなっていた業者との癒着。二転三転し、一貫性に欠ける対応にあると思う。

そのような足かせが大学入試制度改革に取りつき、この国の教育の足を引っ張っているのだ。

今後の展望

今後はこの一連の不祥事と世論の高まりで「大学入試制度改革」に対し冷たい風が吹くこととなりそうだ。現状維持という日本人気質と、「ポスト真実」の高まりを利用し人々の感情や思想に迎合しそうな情報のみを流すワイドショーやメディアの人気と重なり、文科省が新たな政策を行うことさせ厳しい状況になる可能性もある。

しかしこれらの「足かせ」に屈せず、日本のより良い教育のため必要な政策や施策は行ってほしいものである。

そのために官僚の失言や業者との癒着は恨めしい。

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